キールタンを続けることでの「気づき」や「変化」
- 参加者が一つの音楽に集中して一体となった時に、空間の周波数が整うような、全てが共振するような心地良さを感じました。
- 以前より、桁違いにエネルギッシュになりました。休日の朝、仕事の疲れで布団から起き上がれない生活をしていたのが嘘のようです。
- 小学生の息子がキールタンをやっています。卒業式の時、「人に自分の想ったことをはっきり言える人間になりました」と発表しました。大きな変化を自覚できたようです。
- 音楽の楽器一つ一つの奏でる旋律が鮮明に聴こえるようになりました。
- 「倍音」が聴こえる時が増えました。誰もハモってなくても、ハモりの響きが聴こえるのです。
- 学校に勤務しています。「歌って踊って楽しみをシェアする」ことが仕事内容の大部分を占めるようになりました。朝から子供達と一緒に歌い、楽器を奏でています。放課後は、夏祭りに向けて教職員で和太鼓や踊りを練習しています。それらの様子を動画にして、放課後学童で観たり、ご家庭でも観てもらっています。地域でのイベントで、歌や踊りを求められるようになり、共に楽しむ機会が増えました。
- キールタンは神様への献餞。神様に感謝することで、色んな人や周りの環境に感謝することを忘れなくなりました。
- 人間関係で問題が起きても、神様が自分の課題を指摘してくれていると思えるようになりました。
- 感情的になる時間が短くなり、周りとの調和が肌感覚で感じられるようになりました。
- コール&レスポンス。歌詞を正確に唱えることだけに集中すると、すごく充実感があり、幸福感と清々しさを味わえます。大きな声で、良い声で歌うことを心がけていまう。
- 以前は「うまくやりたい」とか、「どう思われている」とか、「失敗したらどうしよう」などということに囚われていました。「神様への献餞」であることを教わってから、そういう気持ちはなくなってきました。
キールタンには、自分の取り組み姿勢がそのまま演奏に出てしまいます。「我」と「執着」を手放し、無心で、集中することだけを目指していいます。「キールタンとカルマ・ヨーガだけでいい」というサッチャナンダさんの教えを同時に実践できるという恵まれた境遇に感謝しています。 - 演奏には、自分の生活態度や精神状況やエネルギーの状態がそのまま現れてしまいます。始めたころは、余分な力が入り、声が上ずったりしていましたが、最近は落ち着いて、体の重心が下がっているような気がします。精神的にも、人間関係であれこれ悩んだり迷ったりしていたことが、どうでもいいことだと思えます。モヤモヤが消えて、明るく軽い気持ちなれます。
- サッチャダルマさんに直接教えて頂けるようになって、キールタンの素晴らしさがさらにわかるようになりました。そして、サッチャナンダさんのビデオを拝見してからは、キールタンの本当の凄さの意味がわかるようになってきました。
- 始めた頃は何をお手本にしたら良いか分からず、サッチャダルマさんの歌い方をモノマネしたりしていましたた。キールタンのメンバーと一緒に練習を重ねる中で、モノマネではなく「自分の良いと言われる部分」を出していくようにした方が良いということに気づきました。そして、「自分勝手に歌う」とか「私が歌う」から、「みんなに歌ってもらう」という気持ちに変化してきました。どのように歌ったら返しやすいか? そのためのテンポや構成は?ということを考えるようになりました。
- 太鼓を担当しています。太鼓の大切な役割として、皆さんの耳に入る音が迷惑なものであってはならないと思っています。そのために、よい太鼓が叩けるように懸命に学んできました。根気と気持ちを持ち続けることは、ほとんど楽器を通しての修行のようでした。飽きることはありませんでした。積み重ねてきたもの、自分で感じ取ってきた音との対話は、私の人生の大きな経験になっています。
- 音は瞬時に現れては消える振動です。太鼓の振動に声の振動が、さらに他の楽器の振動が呼応する・・・次々と繋がり生まれてくる音、音、音。この連鎖と調和は、宇宙そのものです。目には見えない美しいもの。音には魂があると思います。キールタンを通して音の中に身を置けるのは、とても幸せでです。飽くなき探求をしたいと思っています。生涯を通して、この振動を通じて無形で大いなるものと接していたいと思っています。